地元の図書館のイベントで日本文化について話して欲しいといわれたのが1ヶ月前。
日本文化的な習い事を一切したことがない私ですが、知識と書籍とネットをフル活用してリサーチして講演しました。
MSPowerPointにして30ページ、写真中心のプレゼンにして、歴史の概要と伝統芸術についていくつか紹介。
当日は友人たちに手伝ってもらい、おにぎり、すし、から揚げ、お饅頭と日本版キットカット(抹茶、わさび、ずんだ味)をふるまい、冷たい緑茶と麦茶でおもてなししました。
講演の中で少し華道、茶道に振れたのですが、これらは仏教の禅に影響されるところが大きいとされていますよね。でも現代の日本人には一般的に仏教や禅についてあまり知識がないように感じます。
学校で歴史としては少し習いましたが、私は恥ずかしながら「仏教の教えってなに?」と聞かれてもいくつかの断片的な知識しか答えられません。そこで今回のプレゼンテーションとは直接関係ないのですが、仏教の経典について本を読んでみました。それによると、仏教はインドが発祥ですが、その後大きく3つの流れに分かれました。中国から日本に伝わった東アジア系、タイやインドネシアなど東南アジアに伝わった東南アジア系、チベットのチベット仏教。それぞれ伝播する過程で教えや儀式が変化していき、今となってはかなり3つとも異なる状態になっているようです。日本の場合は中国から7Cに仏教が伝わりましたが、現代のお盆や葬儀といった、日本人が仏教的と思っている習慣は仏教からきたものではなく、古神道や儒教の影響があるそうです。
仏教の統一された経典はブッダの死後100年くらいして編成されたのですが、日本で一般の人が知っている仏教の記述されたものは「お経」だけですね。そしてその意味を調べた人も多くはないのでは。
仏教の思想には、諸行無常、所業無我、涅槃寂静、一切皆苦がありますが、調べるほどに仏教は欲を無くし、万物をあるがままに受け入れろ、という「積極的な諦め」のようなものを感じます。解釈が間違っているでしょうか・・・。戦争・飢饉・病気などに悩まされた時代と異なり、豊かになった社会や資本主義的な価値観とは相反するところも、人々が仏教に興味を持たない理由なのかも。
今回の日本文化の講演の最後に、アメリカ人の参加者から「キリスト教徒が日曜に礼拝にいくように、日本では寺に頻繁にいくのかしら?いかないなら、どうやって仏教の教えを学ぶの?」と聞かれました。日本人は法要やお盆以外でお寺に行く人は少ないと思いますし、そういう場所でもお坊様が断片的に仏の教えの話をしてくれる程度なので、キリスト教徒に比べたら宗教との接点が薄い。この状態をキリスト教徒に理解してといってもなかなか伝わらないかなぁ、と思いながら回答しました。こういう説明ってすごく難しい。
講演ではとにかく誤った情報を伝えないように意識したのですが、人の意識や規範が関係するものは人によって解釈が異なるので、それを知らない人に説明するのに苦労すると改めて感じました。でも、こうやって異なる文化背景の人と会話すると、自分の文化をより意識して考えるようになるのでとても面白いですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿